ケベックの歴史的背景が残る政治や社会
フランス人がカナダの土地を占拠後、イギリスが参入し英仏戦争の一環でイギリスが勝利。その後スコットランド、アイルランドを含む英国人がわんさかと移り住んで来た。先に来て既に暮らしを立てていたフランス人達はフランス語使用禁止の時代もあったとか。その後ケベックのみフランス語が第一言語というステータスで来ているが、英仏間の文化を含むにらみ合いがまだまだ根深く残っていたりするのをたまに感じたりもする。
例えば日常の中で見るこんなもの↓。 ケベックの旗(青い方)フラウデリ(百合の花)や、独立のため立ち向かったフランス人がトレードマークの独立の旗なんかを掲げて走っている車。
ケベックの車ナンバーには書いてあるJe me souviens ジュムスヴィアン(忘れない)。
イロコワ族などの先住民を含み、 文化、言語にもっとオープンで共存に対する前向きな精神であったら、モントリオールはもっともっとクールな街になるのになあと時々思う。
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